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いつも旅のなか / 角田光代
2016年08月06日 (土) | 編集 |
いつも旅のなか
いつも旅のなか角田 光代

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アジアとヨーロッパをメインに世界中を
一人旅、ツアー旅、取材旅、と色々な形で
旅した旅行記。

どの話もすごく面白かったです。
単行本の表紙の写真はキューバなのかな?
(キューバというと、
「ポカリスエット WEB動画|
ダンスが上手で陽気そうなキューバで、
ポカリのダンスをガチで踊ってみた。 」
で街の様子がちらっと見れます。
このダンス、オリジナルCMや
パリ編もいいですねー。)

引用していませんが、
日本人女性が好きなオーストラリアの男性の話
なんかも、小説みたいです。

もう十年以上も前の本なので、
アジアの状況なども結構変わっているかも。

タイが一番好き、中国が一番嫌い、という
作者の衝撃的な上海旅を読んでから上海に行ったので、
かなりびびっていたのですが、
今年行った上海はすごい大都会で
この本のころから激変していると
思われます。

作者のバックパックの旅はポジティブで
ちょっと真似してみたくなりますが、
年齢にふさわしい旅がある、
ということで、自分にぴったりくる旅、人生は
自分で試行錯誤していくしかないんでしょうね。

以下引用メモ

そうして私は、その「日本的なもの」がびっくりするほどきれいな気持ちであることに気づくのである。
感情の入る余地のない合理的な商売がきらいで、押しつけがましい態度にたえられず、打算のない親切が存在すると心から信じていて、向き合いたがいの目を見て話しあえば、言葉も文化も習慣も経済も乗り越えて、全世界のだれとでもわかりあえるはずだ。だれもが平等にシアワセになれるよう、自分の健康を願うように願っている。
p19

日の傾きはじめた国境、掘っ建て小屋の外側で、じりじりと私は汗をかいた。沈黙。虫の羽音がすぐ近くで聞こえる。小屋の内側、丹念にパスポートをめくっていた中年男は、顔をあげないまま、にこりともせず口を開く。ドラえもん、知ってる?
(中略)タイという国を旅しているとき、いたるところでひしひしと感じるそれとまったく同じである。他や異を排さないふところの広さ、いい意味でのどうでもよさ、おおらかさ。
p23
(成田のイミグレーションが厳しいということだけど、人によってかなり違うのかも。アジア放浪っぽい雰囲気の人とかには厳しいのかも)

神の気配のまったくない宗教施設は、私の見てきた世界のどこにも、存在しない。ある特異な神聖さ、人々の祈りと切望、排他性と肯定性の絶妙なバランス、すべてからにじみ出るどうしようもない俗っぽさ、それらが相まって、神の気配となっている。それが、この聖堂の内部には、まったく感じられないのだ。
p43
(サンクト・ペテルブルグのイサク聖堂)

うんざりするほどのんびりと(地酒でない)酒を飲み、本を読み、寝て、海を眺めるのだ。検討の結果、行先はギリシャのロードス島に決まった。
p49
(こういうテーマの旅がロードス島!いいねー)

私が向かったのは、カランバカという村である。メテオラという奇岩群の麓の、ちいさな村だ。
p51

このように山を越え越え、一日かけて私は各修道院をまわっていった。
p56
(いいなー)

しかし、タクシーを呼ぼうにも山道に公衆電話はなく、私はひとり、ただひたすら山道を前へ前へと進んで次なる修道院を目指したのだった。どこか遠くから無数の鐘の音が聞こえてくるたび身構えて、隠れ場所を捜し、鐘の音が遠のけば安心して鼻歌をうたい、歩いた。神さまの存在をこれほど近しく感じたことはなかった。犬が出てきませんように、と祈れば、奇石の上の神さまにまっすぐ届くような気がした。
p57

そのときのスリランカは、ゲリラ活動まっさかりのときだった。何もわざわざそんな時期を選んで旅していたのではなく、なにも知らずに旅していた。いく町いく町の、道路という道路が封鎖され、チャックポイントがもうけられ、チェックポイントには大量の砂袋が積み上げられ、そのわきにはライフルを抱えた老若男女の兵隊たちがたむろする掘っ立て小屋があり、なんだかずいぶんけったいな国だわ、と思いながら私は旅していたのだった。
p75

ナラタニヤは本当にちいさな村だった。バスの降車場からずらりと土産物屋が並んでいる。ブッダのブロマイド、ブッダのポスター、ブッダのペンダント、ブッダのペナント、ブッダの置物などをどの店も売っている。
p71

気がつくと私も手を組んで太陽と向きあっていた。なんだか泣き出したいような気分だった。感動したのではなくて、泣き出したいほど強く何かを実感したのだった。何か、は、空洞みたいなものだった。自分のなかにぽっかりと空いた空洞の存在を強く感じたのだ。それは、さみしいことでもむなしいことでもなくて、なんだか不思議を力のわいてくるようなことだった。
p83

のちのちわかってくることなのだが、ラオスの人々は、みな非常に物静かでシャイである。日本ととてもよく似た国民性だと私は思った。何か訊けば親切に教えてくれるが、向こうから声をかけてくることはまったくなく、お隣タイの人々は、目が合うと決まってにいーっと笑うものだが、ラオスではみなぱっと目をそらす。
p113

地理を覚え、定期的に同じ店に通ってお茶を飲み、食事をして、店の人や常連客と会話し、挨拶や食べもの名などラオス語を覚え、使い、目をそらすシャイなラオス人と無理矢理目を合わせて言葉を交わし、深夜近くまで宿のロビーでスタッフとテレビを見・・・、私のやったことはすべて、それまでの旅で会得した「町との親しくなりかた」であった。
p114

酔って寝技は二十代の彼女にふさわしかったのであって、三十代は半ばを過ぎた彼女のその技は、相手に恐怖を与えこそすれ恋愛の序章にはなり得ない。のだ。
旅にも年齢がある。その年齢にふさわしい旅があり、その年齢でしかできない旅がある。
p119

イタリアにいったことのある多くの人が、よくわかんないという顔をする。「そんなに危険なところじゃないけど・・・だいたいあそこは、ものは盗んでも命はとらないって有名なんだ、ヨーロッパのなかでは安全なほうだ」と、彼らは言う。
p125

不気味さと死のにおいが静かに漂う、キュートさのかけらもない剥製館を見学した子どもたちと、死のにおいのまったくしない、はみだすもののまったくない清潔な剥製館を見学した子どもたちは、当然、大人になったときのものごとの捉えかたが大きく異なるだろうと私は思う。
p142
(フィレンツェのラ・スペーコラ博物館)

ベトナムのハノイにはじめて足を踏み入れたとき、今まで訪れたことのある国とあまりにも勝手が違って、ひどく戸惑ったのを覚えている。
ものすごく閉鎖的な町だと思った。(中略)フエというのは古都で、(中略)戦争の傷跡の生々しい一種不気味な町だという感想を抱いた。
p157

ベトナムから無事に帰っていつも通りの毎日がはじまったと、その手紙には書いてあった。いつも通りの毎日ーーーぼくにとってそれは、知らない人を車のうしろに乗せて、町をぐるぐる、ぐるぐるまわる仕事だ。ただそれだけだ。どこにもいけないし、どこにも帰れない。ただ同じところをまわっているだけ。でも、だからなんだ?とぼくは思うんだ。人生はフェアだ。どこまでもフェアで、そしてこれが、ぼくに与えられた日々なんだ。もしサンフランシスコにくることがあったら連絡ください。車のうしろに乗せて町を案内するのは、得意なので。
p165

先に何があるのかわからなくても、それがどんなにみみっちいことでも、自分ひとりで動き出さなきゃいけないときは少なからずある。それでも心配することはない。途方に暮れたとき周囲を見渡せば、自分に向かって差し出されたてのひらが必ずある。
p212


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