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【和書】言葉と歩く日記/多和田葉子
2016年05月01日 (日) | 編集 |
言葉と歩く日記 (岩波新書)
言葉と歩く日記 (岩波新書)多和田 葉子

岩波書店 2013-12-21
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ドイツで活躍する作家、多和田葉子さんの言葉をめぐるエッセイ。
母国語以外の国で言葉を扱う仕事をされているため、考察が興味深く、
大変面白かったです。

以下引用。

外国語は少ししか分からなくても状況から全部分かることもあるし、全部単語が分かっても、話がちんぷんかんぷんの場合もある。
p2

リフトで山頂にあがって、雪靴がなくても歩ける道を三時間くらい歩いてから、山頂のレストランで橇を借りて、その橇で七キロ山頂をすべり降りて家に帰ってこようというのである。
自然の中で時間を過ごすと、複雑な人間関係や仕事の疲れでもつれた神経が元に戻るらしい。
p10

後で聴衆から「日本語には、複雑形と単数形の区別もないし、女性名詞と男性名詞も中性名詞の区別もないし、定冠詞や不定冠詞もないということですが、それは文法がないということですか」という質問が出た。
p34

例えば、『古事記』に書き記されて残っている神話の中には南米に口述伝承として伝わっている神話と同じ起源のものがある。ただし、文字で書かれた『古事記』のバージョンの方がより古いバージョンなのである、という話は読んでいて興奮した。『古事記』と言えば日本では「国粋的」なイメージがあるが、実はその逆で、日本の文化は海でゆるく結ばれていっしょに発展してきた太平洋文化圏の一部だということを証明するのが『古事記』であるということになる。
p40

高校生の頃、「やれやれ」を口癖とする友人がいた。わたしはこの言葉を聞くと一種の安心感を覚えた。「世の中いろいろ大変なことがあって溜め息が出てしまうけれど、やっぱりこの世が好きだし、あきれてしまうような奴に対しても微笑んでやれるような気がするよ」というニュアンスを「やれやれ」に感じていた。ところがその友人が五十歳になって自殺した。それ以来わたしは「やれやれ」と言う人がいると、警報ベルの鳴り響く音を聞くのである。
p52
(村上小説によく出てくる「やれやれ」は
やばい言葉だったのかー)

素直に気持ちを伝えればいい、と言ってもそれが難しい。言葉は素直ではないし、そもそも言葉は心とは別の生き物で両者を繋ぐ直線は初めから存在しない。「よかったね」と「頑張ろうね」しか耳にしたことのない子供は、何も良いことなんてなくて全く頑張れない状況におかれた時、どうすればいいのだろう。
p75

たとえば、「春はあけぼの」と言い切ってしまったのでは決めつけていると思われるので、「春はやっぱりあけぼのかなーって思ったりすることもあるんですけど、でもそんなこと思うの、きっとわたしだけですよね」と書いて、汗の飛び散るスマイリー絵文字でしめる。
p102
(ここまで気を使わないといけない、って
大変ですよね)

大学で哲学を講義するだけの英語力があっても、日常生活の中でほんの小さな言葉のまちがいを犯すことがある。おかげで、たった一つの言語で造られた、たった一つのイデオロギーの中に完全に吸い込まれてしまう危険を免れる。(中略)英語のネイティヴでないことが分かるしゃべり方で、言葉に流されるのではなく、自分の言いたいことを一つ一つ積み木のように積み上げていく。たった一人になってしまっても思考することをやめない人間の勇気と孤独を感じさせた。
p116
(映画「ハンナ・アーレント」)

「英語にするためには、この日本語の言いかたを細かく砕き、日本語的な言いまわしをすべてふるい落として純粋に意味だけを残し、それを正しい語順の英語に託して、相手へと届けなくてはいけない。」そういった努力を毎日繰り返しているうち、母語である日本語にも透明性が表れてくるかもしれない。「物心ついてからこのかた」を片岡さんは、「remembering as far back as I can」と訳している。
p121

外国語を学ぶのは、実際に使うためだけではない。外国語を勉強したことがなければ、母語を外から眺めることが困難になり、言語について考えようとした時にそれがなかなかできない。鏡を使わないで自分の目を見ろ、と言われたようなものだ。
p130

特殊な場所を除いてはほとんど1ヶ国語しか聞こえてこないのでわたしはトーキョーを個人的には「村」だと感じる。(中略)東京で聞こえてくるたった一つの言語を理解できない人間にとっては、あの町は逆に消化しきれないほどの情報を投げつけてくるのかもしれない。(中略)かえって日本語が読めない方が、町中に溢れている日本語の情報の合間にひっそり身を置くトレードマークが目につきやすいかもしれない。テキストはそういう大会社の名前を音楽的要素として組み入れる。東京は彼女の目には元財閥の動かしている町のように見えたのかもしれない。大企業の名前が何度もしつこく出てくる。
p152
(以前レッスンをとっていたアメリカ人の先生が、
日本は財閥に支配されている、というようなことを
言われていたんですが、こういう理由だったのかも
しれないですね。)

ハーレムを見学しながら、TMさんが昨日「トルコでは一夫多妻制は一度禁止されたが最近また公認された」と教えてくれたのを思い出した。
p160

ヨーロッパ内の航空運賃が下がってからわたしの文学活動に大きな変化が訪れた。それまでドイツ国内でしか朗読していなかったのに、いろいろな国に気軽に呼ばれるようになった。日本語とドイツ語の対比を中心に言語を見ることにはかわりないが、その二つの言語は無数の別の言語と親類友人関係を結びながら、網でできた巨大な球の一部を形成しているように思えてきた。
p162

エルンスト・ハニッシュの『男性性―二十世紀もう一つの歴史』(二00五)からの引用を読んで、わたしは息をのんだ。「誇りを傷つけられた時に、憎しみの対象だけでなく、欲望の対象をも傷つけ殺してしまおうとするゆがんだ自己愛は、男性性の暗い影だ。」
p181

わたしがここで「融合」と訳した「Integration」は、移民問題を語る時によく出るキーワードだが、「Assimilation(同化)」が、メイン文化にマイノリティが自分をあわせるという意味で使われることが多いのに対し、一応、「Integration」は、自分の育った文化を捨てないでしかも今暮らしている社会の一員になる、というニュアンスで使う人が多い。(中略)毎日ドイツ語をしゃべり、ドイツ語で喧嘩し、ドイツ語で暮らしている。ドイツ語はできても、社会問題について考え、自分の抱えている問題を広い視野で考察し、それを人に伝える言語を知らない。だからこそ、このプロジェクトでは、ギリシャ悲劇やシューベルトを学ぶことで、暴力について自分で考え、それを相手に伝えられるだけの言語能力をめざしたのだろう。これはただある言語がぺらぺらしゃべれるというレベルの言語能力ではなく、厳しい環境に置かれた人間が難しい問題を解決していくのに必要な言語能力である。
p183

母語で得られる情報だけに頼るのは危険だ。外国語を学ぶ理由の一つはそこにあると思う。もし第二次世界大戦中に多くの日本人がアメリカの新聞と日本の新聞を読み比べていたら、戦争はもっと早く終わっていたのではないか。それはアメリカの新聞に書かれていることが正しいという意味ではない。書かれていることがあまりに違うというだけで、自分の頭で考えるしかない、何でも疑ってかかれ、という意識が生まれてくる。そのことが大切なのだと思う。
p214


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